人と同じようにできなくても大丈夫|「普通」に悩んだことがある人へ
人と比べて落ち込むことはありませんか。
なぜ自分だけうまくできないのだろう。
周りは簡単にできているように見える。
そんなふうに感じた経験は、誰にでもあると思います。
私自身も、人と比べて考えてしまうことがありました。
ただ、年齢を重ねる中で思うようになったことがあります。
それは、人と同じようにできることが必ずしも大切なのではない、ということです。
人にはそれぞれ得意と苦手がある
世の中にはさまざまな人がいます。
- 勉強が得意な人
- 人付き合いが得意な人
- スポーツが得意な人
- 手先が器用な人
- コツコツ続けることが得意な人
反対に、どれだけ優秀そうに見える人でも苦手なことがあります。
何でもできる人はいません。
それなのに私たちは、なぜか自分にないものばかり見てしまいます。
「あの人はすごい」
「自分にはできない」
「もっと頑張らなければ」
そうやって、自分を責めてしまうことがあります。
私は昔から少し人と違う感覚があった
子どもの頃から、私はどちらかというと周りをよく見る方でした。
勉強も運動も、それなりにはできた方だったと思います。
だから何か大きな劣等感があったわけではありません。
それでも、どこか人と少し違う感覚を持っていました。
また、私は昔から何か新しいことを始めるのが好きでした。
言われてやってみると、意外とそこそこ出来てしまうことがあります。
ところが、ある程度できるようになると満足してしまう。
そして、もっと上手になる前に別のことへ興味が移ってしまうのです。
若い頃は、それを短所だと思っていました。
- 継続できない
- 飽きっぽい
- 我慢が足りない
そんなふうに考えていました。
でも今は少し違います。
それも自分の性格の一部なのだろうと思うようになりました。
また昔から、一番より二番手くらいの立場の方が落ち着くところがありました。
人と競争することより、自分なりの役割を見つけることの方に興味があったのかもしれません。
「普通」は意外と存在しない
若い頃は、
普通に就職して。
普通に結婚して。
普通に家庭を持つ。
そんな人生を漠然と想像していました。
でも年齢を重ねると分かってきます。
実は「普通」というものが、とても曖昧だということに。
「家庭」によって違う
「地域」によって違う
「時代」によっても違う
「人」によって価値観も違う
つまり、誰かの普通は別の誰かの普通ではありません。
それなのに私たちは、存在するかどうかも分からない「普通」を追いかけてしまうことがあります。
人と違うことは悪いことではない
私は昔から前例踏襲があまり好きではありません。
もちろん、過去のやり方を否定するものではありません。
むしろ、良いものは大切に残したいと思っています。
ただ、前と同じことをそのまま繰り返すだけでは面白くない。
もっと良くできないだろうか。
もっと分かりやすくできないだろうか。
そんなことを考えてしまいます。
だから人と少し違う考え方をすることもあります。
でも最近は、それも自分の個性なのだろうと思えるようになりました。
人と違うことは悪いことではありません。
むしろ、それぞれ違うから面白いのだと思います。
自分のペースで歩けばいい
四国遍路を歩いていた時、あるお寺でこんな言葉を見かけました。
「早く歩くか
ゆっくり歩くか
なん日で廻るか
なん回廻るか
そんな事より
しっかり歩け
そして
何かをのこせ」
その言葉が今でも心に残っています。
私はこの言葉を、何か大きな実績を残せという意味ではなく、
自分なりに何かを感じろ、という意味で受け取りました。
お遍路では人によって歩く速さが違います。
歩く距離も違います。
休憩の回数も違います。
でも誰も、人と比べて歩いてはいません。
それぞれが自分のペースで結願を目指しています。
人生も同じなのかもしれません。
人と同じように歩く必要はない。
自分の足で、自分の道を歩けばいい。
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人と同じようにできなくても大丈夫
人と同じようにできなくても大丈夫です。
大切なのは、人と同じになることではありません。
誰かと比べて優劣を決めることでもありません。
私は今でも、人と少し違う考え方をすることがあります。
でも最近は、それを無理に直そうとは思わなくなりました。
人にはそれぞれ歩き方があります。
早く歩く人もいる。
ゆっくり歩く人もいる。
大切なのは、自分の足で歩くこと。
そして、自分なりに何かを感じながら進むことなのだと思います。
人と同じようにできなくても大丈夫です。
自分の歩幅で歩いていけば、それで十分なのだと思います。

